感情のコントロール
良好な人間関係を構築し、継続的に維持していくためには、一時の感情で、感情的に行動してはならない。
ガムを噛むのが好きな相手に、ガムを噛んでいる様子が不快だと伝えたら、相手はどんな気持ちになるだろうか?
仕事をサボっている訳ではなく、水を買ったり、歯磨きするなど、必要最低限のことをするために席を開けている人のことを責めたら、相手はどう思うだろうか?
自分の思いだけを相手にぶつけてはいないだろうか?
なぜ、自分の思い、相手にわかってほしいという思いを適切な形で伝えることができないのだろうか?
人は、言葉を使い、伝えることで生活を営んできた。
言葉は、考えるため、気持ちの整理のために使うこともできるが、それよりも、コミュニケーションをとるために使われてきた。
読みにくい学術論文(英語)の特徴
日本語ネイティブにとって、英語で文章を読むことは、慣れるまで大変である。
基本的な文法を押さえていても、文章が長く、文構造が掴みにくいものは読みにくい。また、itなどの指示代名詞が一見して何を指しているのかについても、慣れるまではわかりづらい。これらの文章も、文法的な理解を活用すれば、読み解くことはできるが、感覚的に分かるようになるためには、たくさんの文献を読んで、英文に慣れることで解決できるようになるが、時間を要する。
ネイティブの言語と違って、わからない語彙がたくさんある文章は、一々止まって読まなければならない。
しかし、どのような文章が読みづらいのだろうか。
私は、最近、文法的な構造に関しては、何本も文献を読むことで、多少複雑な文構造の文章でも容易に読めるようになったと感じた。
しかし、歴史的背景や文化コンテクストに関係する固有名詞や、基本単語と意味はほとんど同じだが、より使用される頻度の低いという意味での「難しい語彙」が使用されているとたちまちわからない文章となってしまい、読むスピードが極端に落ちる。
私は、逐一、わからない語彙が登場してきたら、それを調べるようにしているが、これにより、更に時間が取られる。
また、日本語では当然知っているが、英語では知らないという単語も新たな発見がある。例えば、日本語で絞首刑(絞首台)という言葉はそれほど難しい言葉でもなく、中学生くらいでも知っていると思うが、それを英語でgallowsということは知らなかった。
もちろんわからない単語でも文脈から推測できることもあるが、推測できない場合には、立ち止まって辞書で語彙を調べるしかない。
今の私にとっては、文法で躓くというよりも、学術論文でしか見たり聞いたりしないような、言わば、わざと難しく表現したような語彙や、文脈から推測できないような名詞が出てくる文章が、読みにくい学術論文の特徴である。
これから更に語彙力をつけて、よりスムーズに文章を読み、内容を把握できるようになりたい。
カーディフ(Cardiff)とブリストル(Bristol)旅行について
4月16日(火)、17日(水)にウェールズ(Wales)の首都カーディフ(Cardiff)とイングランドのブリストル(Bristol)に行ってきた。
先週の12日(金)、バース(Bath)に行ったのだが、元々はバースからカーディフへ移動しそこで2泊した後、ブリストルに行くという予定を考えていた。
しかし、カーディフに2泊もすると滞在費が勿体ないと考えて、1泊の滞在のみにした。
実際、カーディフは良い街である一方、カーディフのみを観光するのであれば2泊する必要がある場所ではなかったので、結果的に2泊しなかったのは正解であった。
〈カーディフ〉
ウェールズの首都であり、カーディフ・セントラル駅の改札を抜けるとBBCニュースCymru/Walesの所在するビルが迎えてくれる。ビルのGroundフロアにあるPret a Mangerというチェーン店のカフェにはBBCのストラップを首からぶら下げた社員も2人ほど見かけた。
さて、ウェールズはウェールズ語を話す人もいるため、駅構内から街の内部に至るまで、ウェールズ語と英語のダブル表記となっている。
駅前の道をまっすぐ歩くと、左手にはスポーツや音楽イベントで用いられるPrincipality Stadiumという大きなスタジアムを見ることができる。別称はミレニアムスタジアムである。港町であることから、スタジアムを船と見立てたような形になっているのが興味深い。スタジアム脇の道路を歩いていると、中学生くらいの子供たちが先生に引率されながらスタジアムに見学に来ていた。恐らく、Welshを話していた。明らかにウェールズ語を話していていると分かったのは、旅中で彼らくらいだった。文字表記からしても英語とウェールズ語は全く違うため、英語ネイティブがウェールズ語を学ぶのはかなり難しいだろう。
まず、カーディフ城に行った。カーディフ城の周りには動物の彫刻が並べられており、レオパルトや鷲等の動物の彫刻が城を守るかのように取り囲んでいた。
カーディフ城の正門には珍しく日本語で「ようこそ」の文字があった。
カーディフから近くのBig Pit Coal Museumが天空の城ラピュタのモデルとなった土地であり、カーディフはその最も近い都市であることから、日本人観光客も多いのかもしれない。
カーディフ城に入る前に目を引いたのは、クロックタワーである。当然ビッグベンには及ばないが、装飾が美しい。
正門から城に入ると、真ん中の台地になっているところに城がそびえ立っている。
ひとしきり記念撮影を終えた後、古に思いをはせながらそこを後にした。
続いての目的地はAlexandra Parkである。
バースにも同様の名前の公園があった。
この公園は春になり木々が色づき始めたといったところで、目が喜ぶスポットであった。
この日は暖かな日差しが降り注いだこともアクセントとなった。
公園内にはチューリップやチューリップや桜色の木、そして、フォークランド紛争で殉職した方の顕彰碑があった。
隣のカーディフ大学にもお邪魔した。まるでホグワーツかのような建物内部を通過した後、ベンチで休憩し、カーディフ大学のStudent Unionにも入った。
自分の大学と比較するとソファがあることや、ライディングマシンがあること、パブの営業時間が長いことから、より充実した施設だと感じた。
その後、セントラル地区で靴下等の買い物をした後、ホテルIBISへと移動した。
カーディフ湾には海カモメが多く飛んでおり、近くにはレストランや映画館のある商業施設があった。その近くには、新旧のウェールズ議会が設置されており、白色の三角屋根の教会もあった。
日本食レストランにいき、餃子ラーメンとアサヒ1パイントを注文した。
餃子ラーメンは、餃子はニンニクが効いていて美味しかったが、なぜか麺がそばであった。また、
17日朝、ブリストルへ移動する前に、マーケットに行った。
マーケットは2階建てで、朝からパンや果物、裁縫道具などを売っていた。
私は、パン屋でベーコンたっぷりの6.5ポンドで購入した。安くはないが、ボリュームがあり、朝ご飯にはピッタリだ。
その他にも、郷土菓子が売っていたため、それを友達と一緒に購入した。4.5ポンドで10個入りで、5種類の味を2個ずつ購入した。味は、ジャム、ココナッツ、チョコレート、トラディショナル、バターあった。
ブリストルについては、また別の記事に書くことにしたい。
三寒四温
三日寒い日が続いては、四日温かい日が続く。長く続いた冬はこのサイクルを繰り返すうちに、いつの間にか終わり、春を迎える。
2024年春、日本では、桜の開花が例年より10日ほど遅かったという。
ここイギリスにおいても木々が彩りを見せていて、春らしさを感じる今日この頃である。
三寒四温という言葉はどうやらイギリスにも当てはまるようである。3月下旬に気温が上昇し、一時はコートを着なくて良いのではないかと思ったほど穏やかな陽気が続いた。しかし、4月に入り、数日が経つと冷たい風が吹き、雨が降りしきる日も何日か続いた。
今日は温かい。最高気温は19度に達しているようだ。
例によってイギリスの天気は変わりやすく、17時手前の今は曇りであるが、15時過ぎには太陽が顔を出していた。図書館を出て勉強を休憩し、芝生の上で友達と軽く運動をした。
先週の日曜日には曇り空ながらも花見をした。桜のような花が咲いているが、日本のソメイヨシノとは異なる。花びらが大きく、しかし綺麗にピンク色に色づいていた。
他にも紫色の大きな花びらをした花も咲いていた。
イギリスが春を迎えつつある中で一番好きなことは、日が沈むのが遅いことである。
4月上旬だが、19時45分頃まで日没せず、外が明るい。
私は、一日の活動的な時間が長くなるようで嬉しい。また、治安の観点からも、明るい時間が延びるのは良いことだ。
人によっては、生活のリズムを立てるのが難しいと聞くが、時計を中心に生活をすることでその問題は解決できるだろう。
19時頃まで図書館で勉強して、家に帰るときも明るい空の下を歩けるのは嬉しい。
これからますます日没の時間が遅くなるようだ。
これからの春を楽しんでいきたい。
天皇制と日本国家のあり方について
私は今、日本を離れ、遠い異国の地であるイギリスに暮らしている。
そのせいか、日頃から日本のことをイギリスと相対的というか客観的に考えるようになった気がする。今まで所与のこととして考えていたことにも疑問を持つことがある。
ふと疑問に思ったのが、天皇制についてである。
天皇制は当たり前のように存在しているが、存続は妥当なのかという疑問である。
こんなことを言うと私はなんとも不敬な人だと思われるかもしれないが、落ち着いてほしい。
私は、天皇制を廃止した方が良いなどとは露も思っておらず、存続した方が良いと思っている。
しかし、天皇のあり方も時代によって変遷があったことも確かである。
天皇制のあり方について、考えたい。
【現代における天皇制】
ご存知のように天皇制の規定は日本国憲法第一条から第八条に記載されている。そして、天皇陛下については、第一条に記載がある。国の在り様を示す憲法の一番目の条文に記載されているのだから、それだけ重要視されているのである。
少なくとも、中学生の社会科では憲法に関する基礎知識を学ぶことになっており、義務教育を受けていれば、天皇が「日本国及び日本国民統合の象徴」であるとの条文規定を学ぶことになる。
日本国憲法(昭和21年11月3日公布)抜粋
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
【日本国憲法の成立過程】
日本国憲法の成立過程については、私も大学の学部時代に大石眞氏の「日本憲法史」という教科書で明治憲法の成立から、現在の日本国憲法の成立を学んだ。非常に細かいが、興味がある人は読むと発見が得られるだろう。
日本国憲法は、第二次世界大戦に敗戦した日本が、連合国によって、憲法の書き換えを命じられ、策定されたものである。
憲法の草案を最初は日本人の手で書いたが、戦前の思想を色濃く残した憲法だったことに激怒したマッカーサーが米国人に憲法を起案させ、現在の憲法になったというのが、大まかな、そして一般に受け入れらている見解であろう。
終戦前、当時の政府にとって、ポツダム宣言を受け入れる際の最大の争点は、天皇制の存続が認められるか否かであった。天皇制を存続することを連合国は確約していなかったが、当時の政府は、天皇制は維持されると信じてポツダム宣言を受け入れたというのが通説である。いわゆる国体護持を条件とする無条件降伏の受諾を意味する。
結果的に、先に見た日本国憲法の第一条において天皇陛下の位置づけが定められ、戦後昭和天皇が日本全国を巡幸したり、上皇陛下が東日本大震災などの大規模災害にあった県にお見舞いに行ったりしたことで、国民に寄り添う皇室というイメージを確立し、令和の時代になっても、支持される皇室となっていると言えるだろう。
【天皇家の起源・歴史】
天皇家の歴史は古く、世界最古の王室ともいわれるが、初代の神武天皇が即位したのは、紀元前660年とされている。
その後各時代で国民からクーデターにあうこともなく、存続した王朝である。
しかし、ご存知のように、天皇家が常に政治の中心にいたわけではない。
武家政権が台頭した鎌倉時代や室町時代、また江戸時代のころは、天皇の影響力が弱まった時代だと言える。
明治時代以降、王政復古となり、大日本帝国憲法下では、天皇大権の絶大な権力の下、主権者として地位を高めた。
天皇の位置づけは時代によって変わってきた。
江戸時代までは政治の表舞台から陰に隠れていた天皇も、明治以降、力を取り戻す。そして、終戦を機に力を失うが、象徴としての天皇は存在し続けている。現在の状況に対し、戦前、国体維持のみをもってポツダム宣言を受諾した当時の政府高官もさぞ満足しているのではないだろうか。
自民党の憲法改正草案では、第一条に修正が加えられ、天皇が元首であると規定されることになっている。
現行憲法では、元首の規定がないことから、元首が公式にはいないことになっているが、天皇が国政に関する権能を持たないことから、元首の地位は内閣総理大臣にあると解するのが一般的な憲法学説である。
これを、天皇が元首であると規定しているのは何か理由があるのだろうか。
天皇を元首とすることで、政治権力者が、天皇のおことばを借りることで政治問題を解決をしようとする可能性があるのではないかというのが一つある。
天皇が元首であれば、国政の全ての事項は天皇の考えが重要となってくる。政治家が仕向けたいように天皇におことばを述べさせ、政治の方向性を決定づけることも可能となる。しかし、戦前回帰の念は免れない。
【現代の天皇制の問題点】
私が思う現代の問題は、明治以前のように、天皇を曖昧な位置づけにすることができない点である。明治以前であれば、言ってみれば時の政権の都合によって天皇家を重視する度合は変えつつ、政治と距離をおいて、天皇制を存続させることが可能だった。
しかし、現代では象徴天皇制となり、政治的行為には関与していないわけだが、そもそも政治と切っても切れない事象に対しては曖昧な態度をとっているように感じる。
例えば、外交面などでは、G7各国のような緊密な関係にないが、関係を構築したい国の元首を天皇陛下が出迎えることで関係を構築しようとしているように感じられる。これは政治利用ともいえるのではないかと考えられる。この点は、国益に資するため、国民としてはありがたい話である一方、政治との完全な独立というのは不可能なことだと思う。
そもそも、近代国家の成立後、近代国家たるためには、どのような国であるかを憲法に規定せざるを得ず、そのため、憲法に天皇制を記載しなければならなくなった。
そこで明治憲法では、日本を天皇中心の国と位置づけ、昭和期にはそれがナショナリズムと呼応し、国体論の形成へと繋がったと私は考える。
具体的に言えば、神武天皇のころから万世一系の天皇が日本には君臨しており、日本国民の主食であるお米や農作物の豊作、それに伴う国民の繁栄を願った神事を行ってきたのが天皇であり、だからこそ、民衆にありがたがられ、権威をもって国民に支持されてきた。日本人は互いに協力しあって家族のような国家を形成することで繁栄しようという考えの家族国家観が生まれ、ナショナリズムとも呼応した。その後敗戦し、家族制度も軍国主義の温床と見られ解体された。
そして、戦後も象徴天皇制が続いた。戦後、日本国憲法により主権在民となり、日本社会は民主主義の定着により、戦前の全体主義が消え去りマイルドな社会になったとは言えると思う。しかし、現在の日本の国家観は、戦前同様、天皇を戴く国であるというのに根底にある考えに変わりはない。
戦後、GHQは民主化を進めるために様々な改革を行った。憲法の3原則として、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を規定した。日本国民は臣民の立場から主権者の立場に変わり、民主主義を享受した。中には声高に個人の権利を主張する人も現れた。
現代日本は、所得格差により、個人によって住みやすさが異なる国だとはいえるだろうが、総じて平均的な所得があり、その人なりの人生を歩んで満足している人が大多数だと思う。わざわざ戦前回帰して全体主義的な国になりたいと思う人は少ないだろう。
憲法改正における緊急事態条項の導入に反対している人の考えの根底には、戦後享受してきた個人の権利の侵害に対する恐れがあると考えられる。
天皇制が現代でも存続しているのは、天皇制こそが国家観であることの裏返しである。
少なくとも政治家は、天皇制がなければ日本という国家を世界に示すことはできないと考えていると思う。
もちろん、海外の人に日本と言ったら何?と聞いた場合、現代では、アニメや漫画などのイメージが良くも悪くも一番あげられるのではないかと思うが。。。その次に技術力ではないだろうか。真っ先に天皇だと答える人は少ないと思う。
最後に、アメリカ合衆国憲法の前文と第一条を見てみよう。
[前文]
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に 備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
第1 条[連邦議会]
この憲法によって付与されるすべての立法権は、上院と下院で構成される合衆国連邦議会に属する。
アメリカ合衆国憲法前文では、連邦の形成、正義の樹立、国内の平穏、共同防衛、福祉の増進、自由の確保が目的とされている。第一条ではいきなり連邦議会の条文が出てきて、機構に関する規定がおかれている。
アメリカと日本は国の成立が全く異なる。それにも関わらず、日本は、米国から民主主義の理念を移植した。
天皇制が象徴になったとは言え、日本=天皇の国という考えが国民主権がそもそも相いれない理念のように思える。
このような理由から、自民党改憲草案については天皇の元首化により、戦前回帰とも見れる可能性があるため、よく検討が必要であると思う。
もちろん、今の自民党憲法改憲草案でも、天皇陛下の位置づけは象徴のままである。
しかし、天皇制があまりに強調されすぎると、戦前のような天皇崇拝を国が推進するようになるのかなと推測している。
つまり、義務教育の中でも天皇家の歴史を中心に据えて教育がされるようになるのかなと思う。
すると、先に述べたように「武家政権の時代は表舞台から影を落としていたが、長い歴史のある天皇家を中心として日本は国づくりをしてきた」という物語で教育を進め、天皇陛下を礼賛するような教育が敷かれるのかなと思う。
結局のところ、天皇制の在り方は政治的な問題なのだと思い知らされる。
しかし、私は、現在の天皇家も十分に国民の支持を受けていると思うし、それは、ひとえに天皇陛下のお人柄にあると考える。
教育により、天皇制を擁護する国民を増やすというよりも、現在のまま国民に寄り添う皇室像を示し続けるだけで足りるのではないか。
憲法第一条にも「天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と書いてある。
現代で言えば、様々な個人の権利が保障された国民と異なり、天皇は生まれた時より生き方が定められ、基本的人権の享有主体でもなく、正しいふるまいを求められる。そのような厳しい中にも自律して天皇としての振る舞いをし続ける。自律した日常から生れてくる品性などに対して国民は敬愛の念を抱いているのではないだろうか。
そして、まさにこれこそが、自然に天皇を尊崇してきた日本という国なのではないだろうか。
イギリスの大学院留学、ここが大変!
私は、実はイギリスの大学院生である。
「実は」と、もったいぶって言うほどの事でもないが、大学院生である。
イギリスに留学した日本人は今も昔も山ほどいて、かつては文豪、夏目漱石も留学に来て、そしてやや精神を病んでしまったとか。
日本人のイギリス留学者ブログはそれこそ星の数ほどあるが、私が思うイギリス大学院留学の大変さを書き連ねようと思う。
【異国に住む】
漱石の気持ちは理解できる。自国を離れると途端に自分はマイノリティになり、生活の勝手の違いに戸惑い、「英語はそこそこ出来るぜ~」と思って現地に来てみると、自分が知らない表現を多数ネイティブが話している。スピードが速い。そもそもBBCニュースのような話し方はしてくれない。些細なことでも「fu**ing ...」とまくし立ててしゃべっている。彼らは紳士淑女ではないのか、こう思うわけである。さらには、こんな日常会話で聞き取れないことがあって大学院という高等教育機関を卒業できるのか、そんな考えも頭にちらつく。
しかし現代の留学は夏目漱石の時代とは全く異なる。ホームシックになることは少ないだろう。なぜならスマートフォンの中には遠い故郷の友達の近況を見たり、連絡を取る手段がたくさんある。加えて、分からないことがあればインターネットですぐに調べることができる。
言語の壁も、現代の文明の利器を用いれば、英日翻訳は容易だろう。
無論、自分の語学力向上には役立たないので、最低限にとどめるべきなのは言うまでもない。
それでは、異国に住むと何が一番大変なのか。
これは人により異なると思うが、個人的に日本と大きく異なり困るのは気候である。イギリスは、言わずと知れた天気の悪い国である。天候が変わりやすい上に、2週間ほど太陽を見ることができないこともあった。東京や大阪等の雪の降らない都市圏と比較すると、イギリスの方が寒い。体調を崩さずに過ごすことが重要だ。
また、食事の違いである。現地の料理が口に合わない場合も多い。そもそもイギリスは料理がまずいフランス等の近隣ヨーロッパ諸国に比べて人気が劣るのは仕方がないことだが、味付けの仕方が特に下手くそであると感じている。学食を一度食べてそう思った。
基本的には、私は、自炊をしているが、アジア系のスーパーマーケットで食材や調味料を購入すると料金が高いことが問題である。
全体的に物価が高いことも日本人学生にとっては辛いところである。
円安の影響で1ポンド約187円である(現地2024年1月18日1時15分頃)。狂っているとしか言いようがない。
金銭面での負担は数年前に増して高まっているのではないか。
【大学院レベルの学習】
大学院に進学をするとは大学院レベルの勉強をすることだ。
まるで小泉進次郎代議士の発言から巷で言われるようになった「小泉構文」のような文章だと笑うことなかれ。
入学してから繰り返し、教授陣に言われた言葉がある。それは、「あなたたちは修士課程の学生である」ということだ。
イギリスにおける修士過程は、研究者になるための博士課程の準備であるとの意味合い
が強く、それ故、修士過程を舐めるなよと学生に警告しているわけである。もちろん、全ての学生が博士課程に行くわけではない。しかし、博士課程に進学を希望する人も想定した上で高い水準の努力を求めているということである。
心構えとして勉学に勤しむ気持ちを身につけたとして、具体的には何が問題になるのか。
【アカデミックライティング】
日本人学生にとっての関門はアカデミックライティングである。
単位を取得できるか否かは多くの場合、エッセイライティングやレポート、論文等の出来により左右される。アカデミックライティングとはその肝である。
つまり、自分の考えを引用を用いて適切に表現することである。
このためには、引用する文献を正しく批判的に理解・解釈し、その理解・解釈を幅広い語彙により表現し、引用文献を適切に示す必要がある。
【学習に際限がない】
例えばエッセイを書く場合に、教授に事前に参考文献の相談をすることはできるが、あくまで自己の主張を論じるのが目的である。そのため、自己の主張を裏付けるための論文を探さなければならない。しかし、皮肉なことに、自分の主張に合う論文を探すのではなく、論文を読んで、その内容を批判的に解釈して、複数の論文の情報を統合してエッセイを書かなければならない。この意味でエッセイの内容は、自分が呼んだ論文(本やジャーナルなど)の範囲内でしか、論理的にはエッセイを書けないと言うことになる。
より良い考えを得たければ、多くの文献を読まなければならないが、それは際限がない。
従って、際限がないからこそ、際限を自分で設定することが重要だと考える。
自分の研究範囲を意図的に絞ることで、自分の研究全体をコントロールできるようになるはずだ。このあたりの感覚を得るのがまだ先になりそうだ。
【留学目的の違い・時間管理】
当然、大学院留学はワーキングホリデーや語学留学と異なる。
留学の本旨を自分で見極め、それに向かって日々の学生生活を送ることがイギリス大学院留学の鍵と言える。
しかし留学しているからにはイギリス国内を旅行したり、ヨーロッパ圏の国々を訪れたい、あるいは何かイギリスでなければ経験できないこと、例えばプレミアリーグを観戦したいなど、学問以外のやりたいこともたくさんあるはずである。
従って、時間管理がとても重要となってくる。
やるべきことの優先順位付けと、その実践を常に行うことが求められる。それ故、自律した生活を送る必要がある。
【その他】
私自身、考えのつたなさや専門分野に関する知識の薄さ、知識があってもそれを上手く統合し自分の意見として伝えることが出来ないもどかしさと戦っている。しかし、これらも訓練というか実践して行く上で「より良い考えの仕方を身につけたり、より良い意見の発表が出来るようになるのだ」と自分に言い聞かせて、考えを深めるように努力をしている。考えは自分で文字に起こして可視化したり、人と対話しなければ、涵養されないと思うので、些細なことでも自分の意見を持つようにしている。
【最後に】
もし同じ境遇にいる人がいたら共に頑張ろう。また、イギリス大学院を志して勉強している日本の学部生がいたら、その目標が達成できるよう願っている。
Duolingoを始めて75日目の感想/外国人に日本語学習は人気か?
10月末頃からDuolingoアプリを始めて、2ヶ月半ほどが経った。
【① Duolingoは学習の継続をサポートしてくれる】
アプリは、毎日5分でも良いのでレッスンをするよう通知して来て、学習を勧めてくる。
私はそれに従って、学習を続けている。
不思議なことに、物事を継続していると、それを途切れさせたくなくなるのが人間の性のようだ。
厳密には、3日ほどアプリを起動していない日があったが、アプリの仕組みで、学習を休んだ翌日に学習をすれば、学習を継続していると見なされるようだ。
そのため、75日間学習を継続していることになっている。
Duolingoアプリは、学習の継続をサポートし、語学学習のやる気を引き出すアプリである。
【② 継続の重要性】
実際のところは3日お休みしているとは言え、学習が続くのは良いことである。
なぜなら、語学学習の場合は特に、慣れるために継続することが重要だからである。
慣れの重要性は、Duolingoで複数の言語を勉強している時にも痛感した。
例えば、イタリア語のレッスンを久しぶりにした時のことである。
「こんにちは。初めてまして、マークさん。私は、ミラノ出身です。」といった簡単な挨拶の表現を前回のレッスンで学んでいたため、その復習を行った。
「Chiao! Piacere, Mark. Io sono di Milano.」と1回目のレッスンでは完璧に覚えていたし、とても基礎的な内容なので記憶に残るだろうと思った。
しかし、2週間から3週間ほど間を空け復習のレッスンをした時には、思い出すのに時間がかかってしまった。
時間的間隔を空けると、基礎的な会話でさえもすぐに忘れそうになるのだなと実感した瞬間であった。
対して、メインで学習をしているドイツ語については、毎日のように触れているので、学んだ表現や単語を忘れにくくなっていると感じる。
このようなことから、語学学習においては慣れ、すなわち継続が重要だなと実感する。
(語学学習に継続性が重要なことは、何も目新しい発見ではなく、常識的な考えではあるが、改めて重要性を実感した。)
『小括』
語学学習が継続が重要であり、Duolingoは学習を継続するようサポートしてくれる。
Duolingoは語学学習をするのに適したアプリであると言え、このアプリの最大のメリットである。
【③ その他のメリット】
Duolingoは語学学習を継続させること以外にもメリットがある。
学習内容が適切なレベルで構築されていることである。
DuolingoはCEFR(Common European Framework Reference)というヨーロッパの言語学習の共通規格における中級者レベルまでの学習を提供している。
CEFRは一番下のレベルからA1(Beginner)、A2(Pre-intermediate)、B1(Intermediate)、B2(Upper-intermediate)、C1(Advanced)C2(Proficiency)と6つのレベルに分かれている。
DuolingoはB2レベルまでの学習を提供している。
Duolingoの説明では、すべての学習者が必ずしもC1やC2レベルを目指す必要はないため、B2レベルまでの学習を提供しているようだ。
Dublinはユニットごとにレベルが分けられており、大体の言語においてユニット5か6まで終了させるとB2レベルまで達することが出来るとされている。
学習を始める時点で目標地点がわかりやすく整理されているのは、モチベーションを良維持する上でも重要だと思う。
【外国人に日本語学習は人気なのか?】
以下のDuolingoの公式ブログの記事で興味深い内容があった。
Cindy Blanco博士(2023年4月25日), Special report: Who studies Japanese on Duolingo?(特別報告:誰がDuolingoで日本語を勉強しているのか), Duolingo Blog, Accessed:2024年1月17日, Available at: Who Studies Japanese and Why Is It So Popular? (duolingo.com)
このブログでは、日本語学習はDuolingo調べで、アメリカで4番目に人気の学習言語であることや中国では2番目に学習人気が高いこと、その他ベトナムやバングラデシュ等東南アジア諸国に人気がある言語であると紹介されている。
また、非常に興味深かったのが、日本語を学ぶ理由が「ただ楽しんでいるから」である
点だ。これは、他の言語と大きく異なる学習理由である。
例えば、英語はキャリアアップや学問のために勉強しているとアンケートに答えた割合が最も多く、スペイン語はコミュニケーションのためと答えた割合が多かった。
日本語を学ぶ理由が「ただ楽しんでいるから」である理由は、アニメや漫画の文化が広がっており、特に若い世代に好んで学習されていると推測される。
きっかけは何にせよ、好き好んで、純粋に楽しいからと言う理由で言語を学ぶのは最も学習効率が良いのではないかと思う。
たしかに、タイ人の友人もコロナ禍に流行った「鬼滅の刃」や「呪術回線」等、日本のアニメ・漫画を大好きで日本語を勉強していると言っていた。
少子高齢化、失われた30年など、何かと悲観的になりがちな日本であるが、今後特に、新興著しいアジア諸国との連携が重要になってくる中でクールジャパン(少し古い標語か?)で地域の交流の輪を広げ、より多くの外国の方に日本文化を理解してもらえたら良いな、そんなことを思った。