天皇制と日本国家のあり方について

 私は今、日本を離れ、遠い異国の地であるイギリスに暮らしている。

そのせいか、日頃から日本のことをイギリスと相対的というか客観的に考えるようになった気がする。今まで所与のこととして考えていたことにも疑問を持つことがある。

 

ふと疑問に思ったのが、天皇制についてである。

天皇制は当たり前のように存在しているが、存続は妥当なのかという疑問である。

こんなことを言うと私はなんとも不敬な人だと思われるかもしれないが、落ち着いてほしい。

私は、天皇制を廃止した方が良いなどとは露も思っておらず、存続した方が良いと思っている。

しかし、天皇のあり方も時代によって変遷があったことも確かである。

天皇制のあり方について、考えたい。

 

【現代における天皇制】

ご存知のように天皇制の規定は日本国憲法第一条から第八条に記載されている。そして、天皇陛下については、第一条に記載がある。国の在り様を示す憲法の一番目の条文に記載されているのだから、それだけ重要視されているのである。

少なくとも、中学生の社会科では憲法に関する基礎知識を学ぶことになっており、義務教育を受けていれば、天皇が「日本国及び日本国民統合の象徴」であるとの条文規定を学ぶことになる。

 

日本国憲法(昭和21年11月3日公布)抜粋

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 

日本国憲法の成立過程】

日本国憲法の成立過程については、私も大学の学部時代に大石眞氏の「日本憲法史」という教科書で明治憲法の成立から、現在の日本国憲法の成立を学んだ。非常に細かいが、興味がある人は読むと発見が得られるだろう。

日本国憲法は、第二次世界大戦に敗戦した日本が、連合国によって、憲法の書き換えを命じられ、策定されたものである。

憲法の草案を最初は日本人の手で書いたが、戦前の思想を色濃く残した憲法だったことに激怒したマッカーサーが米国人に憲法を起案させ、現在の憲法になったというのが、大まかな、そして一般に受け入れらている見解であろう。

 

終戦前、当時の政府にとって、ポツダム宣言を受け入れる際の最大の争点は、天皇制の存続が認められるか否かであった。天皇制を存続することを連合国は確約していなかったが、当時の政府は、天皇制は維持されると信じてポツダム宣言を受け入れたというのが通説である。いわゆる国体護持を条件とする無条件降伏の受諾を意味する。

 

終戦後の天皇陛下

結果的に、先に見た日本国憲法の第一条において天皇陛下の位置づけが定められ、戦後昭和天皇が日本全国を巡幸したり、上皇陛下が東日本大震災などの大規模災害にあった県にお見舞いに行ったりしたことで、国民に寄り添う皇室というイメージを確立し、令和の時代になっても、支持される皇室となっていると言えるだろう。

 

天皇家の起源・歴史】

天皇家の歴史は古く、世界最古の王室ともいわれるが、初代の神武天皇が即位したのは、紀元前660年とされている。

その後各時代で国民からクーデターにあうこともなく、存続した王朝である。

しかし、ご存知のように、天皇家が常に政治の中心にいたわけではない。

武家政権が台頭した鎌倉時代室町時代、また江戸時代のころは、天皇の影響力が弱まった時代だと言える。

明治時代以降、王政復古となり、大日本帝国憲法下では、天皇大権の絶大な権力の下、主権者として地位を高めた。

 

【これまでの天皇の位置づけ、これからの天皇の位置づけ】

天皇の位置づけは時代によって変わってきた。

江戸時代までは政治の表舞台から陰に隠れていた天皇も、明治以降、力を取り戻す。そして、終戦を機に力を失うが、象徴としての天皇は存在し続けている。現在の状況に対し、戦前、国体維持のみをもってポツダム宣言を受諾した当時の政府高官もさぞ満足しているのではないだろうか。

自民党憲法改正草案では、第一条に修正が加えられ、天皇が元首であると規定されることになっている。

現行憲法では、元首の規定がないことから、元首が公式にはいないことになっているが、天皇が国政に関する権能を持たないことから、元首の地位は内閣総理大臣にあると解するのが一般的な憲法学説である。

これを、天皇が元首であると規定しているのは何か理由があるのだろうか。

天皇を元首とすることで、政治権力者が、天皇のおことばを借りることで政治問題を解決をしようとする可能性があるのではないかというのが一つある。

天皇が元首であれば、国政の全ての事項は天皇の考えが重要となってくる。政治家が仕向けたいように天皇におことばを述べさせ、政治の方向性を決定づけることも可能となる。しかし、戦前回帰の念は免れない。

 

【現代の天皇制の問題点】

私が思う現代の問題は、明治以前のように、天皇を曖昧な位置づけにすることができない点である。明治以前であれば、言ってみれば時の政権の都合によって天皇家を重視する度合は変えつつ、政治と距離をおいて、天皇制を存続させることが可能だった。

しかし、現代では象徴天皇制となり、政治的行為には関与していないわけだが、そもそも政治と切っても切れない事象に対しては曖昧な態度をとっているように感じる。

例えば、外交面などでは、G7各国のような緊密な関係にないが、関係を構築したい国の元首を天皇陛下が出迎えることで関係を構築しようとしているように感じられる。これは政治利用ともいえるのではないかと考えられる。この点は、国益に資するため、国民としてはありがたい話である一方、政治との完全な独立というのは不可能なことだと思う。

 

そもそも、近代国家の成立後、近代国家たるためには、どのような国であるかを憲法に規定せざるを得ず、そのため、憲法天皇制を記載しなければならなくなった。

そこで明治憲法では、日本を天皇中心の国と位置づけ、昭和期にはそれがナショナリズムと呼応し、国体論の形成へと繋がったと私は考える。

具体的に言えば、神武天皇のころから万世一系天皇が日本には君臨しており、日本国民の主食であるお米や農作物の豊作、それに伴う国民の繁栄を願った神事を行ってきたのが天皇であり、だからこそ、民衆にありがたがられ、権威をもって国民に支持されてきた。日本人は互いに協力しあって家族のような国家を形成することで繁栄しようという考えの家族国家観が生まれ、ナショナリズムとも呼応した。その後敗戦し、家族制度も軍国主義の温床と見られ解体された。

 

そして、戦後も象徴天皇制が続いた。戦後、日本国憲法により主権在民となり、日本社会は民主主義の定着により、戦前の全体主義が消え去りマイルドな社会になったとは言えると思う。しかし、現在の日本の国家観は、戦前同様、天皇を戴く国であるというのに根底にある考えに変わりはない。

 

戦後、GHQ民主化を進めるために様々な改革を行った。憲法の3原則として、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を規定した。日本国民は臣民の立場から主権者の立場に変わり、民主主義を享受した。中には声高に個人の権利を主張する人も現れた。

 

現代日本は、所得格差により、個人によって住みやすさが異なる国だとはいえるだろうが、総じて平均的な所得があり、その人なりの人生を歩んで満足している人が大多数だと思う。わざわざ戦前回帰して全体主義的な国になりたいと思う人は少ないだろう。

憲法改正における緊急事態条項の導入に反対している人の考えの根底には、戦後享受してきた個人の権利の侵害に対する恐れがあると考えられる。

 

天皇制が現代でも存続しているのは、天皇制こそが国家観であることの裏返しである。

少なくとも政治家は、天皇制がなければ日本という国家を世界に示すことはできないと考えていると思う。

もちろん、海外の人に日本と言ったら何?と聞いた場合、現代では、アニメや漫画などのイメージが良くも悪くも一番あげられるのではないかと思うが。。。その次に技術力ではないだろうか。真っ先に天皇だと答える人は少ないと思う。

 

最後に、アメリカ合衆国憲法の前文と第一条を見てみよう。

[前文]

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に 備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。

 

第1章[立法部]

第1 条[連邦議会

この憲法によって付与されるすべての立法権は、上院と下院で構成される合衆国連邦議会に属する。

アメリカ合衆国憲法前文では、連邦の形成、正義の樹立、国内の平穏、共同防衛、福祉の増進、自由の確保が目的とされている。第一条ではいきなり連邦議会の条文が出てきて、機構に関する規定がおかれている。

 

アメリカと日本は国の成立が全く異なる。それにも関わらず、日本は、米国から民主主義の理念を移植した。

天皇制が象徴になったとは言え、日本=天皇の国という考えが国民主権がそもそも相いれない理念のように思える。

 

このような理由から、自民党改憲草案については天皇の元首化により、戦前回帰とも見れる可能性があるため、よく検討が必要であると思う。

 

もちろん、今の自民党憲法改憲草案でも、天皇陛下の位置づけは象徴のままである。

しかし、天皇制があまりに強調されすぎると、戦前のような天皇崇拝を国が推進するようになるのかなと推測している。

つまり、義務教育の中でも天皇家の歴史を中心に据えて教育がされるようになるのかなと思う。

すると、先に述べたように「武家政権の時代は表舞台から影を落としていたが、長い歴史のある天皇家を中心として日本は国づくりをしてきた」という物語で教育を進め、天皇陛下を礼賛するような教育が敷かれるのかなと思う。

 

結局のところ、天皇制の在り方は政治的な問題なのだと思い知らされる。

 

しかし、私は、現在の天皇家も十分に国民の支持を受けていると思うし、それは、ひとえに天皇陛下のお人柄にあると考える。

 

教育により、天皇制を擁護する国民を増やすというよりも、現在のまま国民に寄り添う皇室像を示し続けるだけで足りるのではないか。

憲法第一条にも「天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と書いてある。

現代で言えば、様々な個人の権利が保障された国民と異なり、天皇は生まれた時より生き方が定められ、基本的人権の享有主体でもなく、正しいふるまいを求められる。そのような厳しい中にも自律して天皇としての振る舞いをし続ける。自律した日常から生れてくる品性などに対して国民は敬愛の念を抱いているのではないだろうか。

 

そして、まさにこれこそが、自然に天皇を尊崇してきた日本という国なのではないだろうか。